2019年12月31日

今年を振り返って。

今年も年一の更新となってしまいました。

今年は昨年一昨年と異なり、平穏に推移し、
年初にインフルエンザに見舞われた以外は
大きなケガ・病気も無く過ごすことができました。

業務に関してはプロジェクトの方針変更で派遣先での
自分の範疇にある仕事は無くなってしまったのですが、
派遣先に慰留されてこれまでとは専門外ながらも
業務を遂行していました。

そのまま今年は過ぎると思っていたのですが
とあるきっかけで、秋に派遣元を転職することにしました。

職場環境を鑑みれば、派遣先や派遣元に特に不満が
あったわけではありません。自分の専門性を活かせる
機会を得たため決意したのです。
妻からも特に反対は無く、好きなようにやればいいと
後押ししてくれました。

今の職場はこれまでとは全く雰囲気が異なり、
しばらく戸惑うこともありましたが、
徐々に結果が目に見えるようになり今現在では
順調に推移しています。

今年は大きなトラブルが無かったわりには
外に出せるようなアウトプットを出していないことを
強く感じています。

プライベートの時間は眠っている時間が多く、
1時間でも30分でも暇な時間ができると
すぐに眠ってしまう日々が続いています。

つまり、趣味に費やす時間をあまり取りませんでした。
興味・関心事が薄れてきているのかなと危機感を持っています。
とはいえ、マイスリーやロピフノール(サイレース)無しの
睡眠生活は成り立たないのが現状です。
同様に活力維持のためにサインバルタを絶つのもまだ先となりそうです。

今の職場はいい感じで過ごせているので、
そこで得られた知見等をアウトプットできればいいなあと
思いつつ、今年は締めたいと思います。

それでは、また。


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2009年08月02日

うつ病になった経緯(終)

業務上、負担を軽減させてもらったものの、メイン業務への取り組みは変わらなかった。
しかし、今振り返ってみれば、メイン業務すら正常に遂行できる状態ではなかった。

そして休職直前のメモがあるので引用する。

○2/X
 6時起床予定が4時30分に目がさめてしまった→再び睡眠できた(夢をみた)。
 起床から朝食まで沈んだ気持ちになっている。
 TVに写る人間と自分を比較してしまい気分が沈んでしまう。

 出社したくない気持ちが強いが、有休を減らしたくない気持ちから出勤。

 会社までの道のりで将来のことを考えて憂鬱になる。
  自分は歳の割に大したキャリアを積んできていないのではないか。
  今の職場から逃げ出したい→他に行き場所がある?
  通勤する人と意味も無く自分と比較してしまう。
  転職しなければよかった?

 会社の中に入ると最初に息の詰まる思いがする。
 周りをきょろきょろしてしまう。

 昼食はここ数日いつもより少ない(200kcal程度)
 昼食時に人の話題が出ているときに自分と比較し憂鬱になる。

 業務を順調に進めているときは落ち着くが、問題が発生するとたちまち落ち着きを失って落ち込んでしまう。
 頻繁に席を外す。

○2/X
 6時起床予定で5時ごろ目がさめる→再び睡眠できた。

 食欲が無い。軽い吐き気がするものの朝食は完食。
 吐き気は薬の副作用のようだ。

 会議の内容がよくわからなくてあせりが出る。
 宿題を出されて軽いパニック状態。

 昼食時も軽い吐き気を催すが、完食。味をあまり感じていない。食事中の会話が耳を素通りする。

 午後休を取りたいけれど、家に一人でいても気が滅入るような気がするので、定時まで何とかすごそう。
 仕事はかどるかな…

 定時頃に帰宅するも、家で何をしたらいいかわからず家中をうろうろする。
 休職したい⇔周りに迷惑をかけられない でせめぎあい。

○2/X
 6時起床予定で4時ごろ目がさめる→再び睡眠できたが、5時30分頃に起きる。

 変わらず食欲は無いが、完食。吐き気は特に無し。

 会社に行きたくないと強く感じるが、行く事にした。いつもよりも15分ほど早く出社。

 昨日より午前中の億劫感が強く感じる。

○2/X
 今朝は早期覚醒は無かったが、起き上がるのに大変苦労した。

 気分が悪い。軽い吐き気。朝食は量を減らして完食。

 会社にきたあとのメールチェックで、自分宛てのメールがきて軽いパニックになる。
 気が滅入っている。仕事をする気が失せてきた。無理のしない範囲でこなそうと思う。

 仕事が進まない。昼食の食欲がかなり失せてきた。でも完食できた。

 以前仕上げた仕事に変更の必要が発生。もともと気が滅入ったところにパンチを浴びせられた格好。今日は冷静に仕事ができそうにない。進捗の遅れでそろそろチームに迷惑がかかりそうだ。

 今15:15。定時まで2時間を切ったが、今の状態でできる仕事が無くてどうしよう。

16:40。問題対策が見つかりそうでパニック状態から少し脱出。


 夜、妻と話し合いをしている。休職したい思いが強くなった。


早朝覚醒、食欲低下、他人との比較での落ち込み…もう典型的なうつ状態だった。
自分宛のメールが来ただけでパニック状態になり、席を立つありさま。
また、この日々になって吐き気に悩まされるようになった。うつがひどいときにルボックスの副作用が最悪の形になって現れたようだった。

そして最後の日。

○2/X
 4時に目がさめる。気づいたら5時30分だった。寝ていたのだろうか?

 非常に気分が悪く、午前半休を取る。

 朝食は完食。

 日内変動のためか、すごく気分が悪く、落ち着かない。これまでで最悪かも。家中をうろうろしている。テレビも見る気がしない。

 午後出勤。メールの山をみてめまいがした。上司に報告するも自分でも考えがまとまらずに説明している。こりゃ帰ったほうがよさそうな気がする。


結局この日は、出社して数分いただけで、一日休むことになった。
そしてこの日が通院日で、上記のことを告げたら、主治医は「休職しましょう」と即座に答えた。診断書を渡された。

薬はルボックスからアモキサンに変更になった。

翌日出社して、部長と上司に面談して診断書を渡し、休職することになった。

上司からは、「業務のことは心配しないでいいから、ゆっくり休みなさい」ような旨の事をいわれたような気がする。
実際、メンバーのレベルは自分より遙かに高いのだし、自分の穴などあっという間にリカバーできてしまうだろうと思っていた。なので、上司の言葉は裏付けがあると思ったから、ありがたかった。

こうして休職の日々が始まった。

ペタしてね
ラベル:うつ病 転職
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2009年07月19日

うつ病になった経緯(5)

2008年2月に入り、ただでさえ一杯一杯な状態に、海外の開発会社の窓口を任される重圧と不安感で、自分の状態はさらに悪化した。

2月に入ってからの自分の状態をまとめたテキストが手元に残っている。

○身体的な出来事
 軽い頭痛がする。
 常に軽い動悸がする。
 体が重い。
 ここ2週間ほどで2kg程体重減。
 以前より1〜2時間ほど就寝時間が早い。
 30〜1時間前に起床してしまう。

○心理的状況
 何もする気が起こらない。
 キャリアアップのために何かしなくては、という気持ちはあってもやる気が出ない。
 過去を振り返ってダメだったところばかり思い出す。
 エンジニアとしての心が折れてしまったような気がする。
 通勤の道すがら、自分はダメな人間だと落ち込むようになる。

○職場
 わからないことを人に聞きづらい、非常に勇気がいる。
 会議が非常につらい(動悸や軽いめまいがする)。


とにかく、心身ともにまともな状態ではなかった。

それでも、目の前の業務は何とかこなしてきた。しかし、片付けた仕事で、問題が発生したときに来るメール(題目ですぐわかる)が来るたびに、胸に大きな動悸が起こっていた。

そうした中、2月初旬、海外窓口の具体的な仕事内容について上司と面談をする機会が訪れた。

自分はこの場で、この仕事は断るつもりでいた。今の状態から考えてとてもできるような業務ではなかったからである。そのつもりで面談に臨んだ。

ところが当時の上司は、悪い人ではなかったのだが、仕事について語り出すと止まらないのである。
とにかく一方的にしゃべりまくる。当時の自分にはそれを制止してこっちからしゃべる気力はなくなっており、ただうなずくだけだった。
しかし、もう体の方が悲鳴を上げていた。上司の話を聞いているうちに、不安感で動悸が止まらなくなり、手で心臓の辺りをおさえていた。

それに上司が気づいた。

「どうしたの?」
「いえ、ちょっと…動悸が…」
「え? なになに? 気分が悪いの?」
「いえ、そうではなくて、ここのところずっと調子が悪いのです。実は心療内科に通っています。」

それを聞いた上司は、すぐに自分の状態に気づき、窓口業務の話を切り上げた。自分から申し出ることなく、この業務はやらないことに決まった。
そして今年になって新たに課せられた業務(ある業務でのメンバーとりまとめ役等)も解除され、メイン業務以外はほとんど無しに負担が軽減された。

その日、通院日で、トレドミンからルボックスへ変更となった。

翌日、自分に近い主任さんから呼び出され、さらに部長からも呼び出された。おそらく、上司から報告を受けてのことだと思う。
暖かい言葉で励まされ、配慮してくれることにとても感謝した。

しかし、自分はすでにもう、それらの配慮では救えないほど状態が悪化していたのである。
(続く)

ペタしてね
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2009年07月12日

うつ病になった経緯(4)

これまで、会社の人間には伝えずに通院していた。2007年の秋に快方に向かったこともあって、このまま治るだろうと甘く見ていた。

しかし、それは見方によっては会社は自分の事情など配慮してくれないということであった。プロジェクトが進むにつれて自分の負荷が大きなり、こなせるかという不安感が強まり、年末にかけてどんどん症状が悪化していった。

さらに年が明けて、課の異動、ある業務でのメンバーとりまとめ役といった負荷がのしかかり、自分でもどうやっていいのかわからないまま、周りに相談もせずに抱え込んでいった。典型的な悪い例である。

症状が悪くなったので、ドグマチールからトレドミンに薬が変更になった。

そんな状態の中で2008年1月半ば、上司と定期面談があった。これは、昨年を振り返るとともに、今年の自分の業務方針を決めるものであった。

2008年となり、今自分が苦しんでいるプロジェクトも終盤になりつつあり、新しいプロジェクトを検討する段階に入っていた。面談ではその新プロジェクトにおける自分のポジションを伝えられた。

そのポジションとは、海外の開発会社の窓口となり、とりまとめる役であった。

これに自分は大きな衝撃を受けた。全く未経験な上に苦手意識のある内容だったからである。

自分は英語に強い苦手意識を持っていた。
恥ずかしながらエンジニアのくせに、前の会社では、海外出張などしたことがなかった。英語の仕様書は読めるものの、ディスカッションなどは全くの未経験だった。
もともと日本語でのコミュニケーションも苦手なのに、英語なんてもってのほかだった。

しかしこの会社に転職してから、業務の一部を海外の会社に委託していることがわかり、メンバーの誰もが、英語でのメールのやりとり、レビュー、フェイスtoフェイスなディスカッションを経験していた。

そのことは、元々持っていた自分の英語への苦手意識をさらに強くした。
遅れを取り戻すべく、転職してから、長時間残業した後も、TOEICの勉強を毎日していた。
しかしいくら勉強しても、(元々気の進まないこともあってか)すぐに追いつけるものではなかった。
そんな状態だったので、英語のレビューでは言葉に詰まることがしばしばあった。それでますます英語にコンプレックスを持つようになった。

そんな中のこのポジションであった。

周囲のレベルの高さ、異動、これまでのプロジェクトで一杯一杯の状態、そんな負荷の中で告げられたこのポジションに、自分は胸を矢で射抜かれたようなショックを受けた。

こんな業務とてもつとまりそうにない。この先この会社でやっていけるのか…。

いつまでもそんな思いがぐるぐる回っていた。
(続く)

ペタしてね
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2009年07月05日

うつ病になった経緯(3)

2007年9月、自分は現在も通っているクリニックの門をたたいた。

クリニックに行く前、ネットでうつ病のチェックを調べたと記憶している。結果は抑うつ状態で要注意だった。

会社で設置されているメンタルヘルスの相談電話に連絡して安心した。応対したカウンセラーさんは話をよく聞いてくれるし、これならば通院することで回復するだろうと楽観的に考えていた。

投薬とカウンセリングによる治療が始まった。
自分から基本的に訴えたことは、この会社はレベルが高くて、自分はここでやってけるだろうかという不安感である。
担当になったカウンセラーさん(今もお世話になっている)は、話をよく聞いてくれ、いろいろアドバイスしてくれたと記憶している。具体的な内容はすでに記憶に残っていない。

薬はドグマチールだった。通院は職場には隠していた。
何も知らなかった当時の自分は、胃腸をよくする薬程度の認識だった。胃潰瘍を防ぐためかな?と思っていた。

9月〜11月にかけて1時間x5回のカウンセリングを行い、自分の不安感と落ち込みもだいぶ回復してきていた。5回目のカウンセリングで自分は一区切りつけることにした。
このとき、自分はこう思っていた。職場のレベルは高いけど、今は戸惑っているだけ。いずれ自分も慣れてきて、そうすれば自分の力を発揮できるようになるさ、今までだってそうじゃなかったじゃないか…。
カウンセラーさんから「顔が明るくなりましたね」と言われたことが印象的だった。

そう、2007年の秋頃はだいぶ回復していた。不安感も少なくなり、ドグマチールを飲み忘れる日もあったくらいだった。通院も月に1度になっていた。

しかし12月に入って、プロジェクトが進んでレビューが多くなってくると、また不安感が大きくなり始めた。プロジェクトのメンバーは自分よりも若手が多く、レビューを難なくこなしていく。
中には英語によるディスカッションもあった。自分は英語に大きな苦手意識があるのだけれども、若手たちはそれをも難なくこなせてしまう。これも大きなコンプレックスになった。

そうやって落ち込みが大きくなっていき、睡眠障害が現れた。起床時刻前に目が覚めてしまうという、典型的なうつ傷害だ。

レビューが怖い。自分のレビューはもちろん、他人が突っ込まれていく場面も見るのもイヤだ。

会社に行きたくない気持ちも強くなっていった。でも、その気持ちを何とか抑えてあまり欠勤をせずに出社していった。
クリニックからはレンドルミンが処方された。

年末年始を迎え、大きな転機が訪れる。
年明けに大きな組織の変更が行われ、自分は別の課に配属されることになった。新しい課ではこれまで親交はあったものの、前の課で一緒の人はいなかった。前の課では自分を助けてくれ、一番親交のあった人とも離ればなれになってしまった。

新しく配属された課では、課長をはじめ、メンバーが皆個性的かつレベルの高いメンバーだった。この中でやっていけるのか…不安感はますます大きくなっていった。

配属された初日、いきなり課長から、ある業務のとりまとめ役を命じられた。あのメンバーの中でとりまとめ役…メイン業務だけで一杯一杯なのにさらに業務負荷がかかる形になり、自分は頭を抱え込むことになった。

でも、今振り返れば、まだこのぐらいの負荷なら休職することなくこなせていたのかもしれない。結果論だけれども、周囲によく相談していれば自分の不安感もある程度は解消できるかもしれなかった。

しかしさらに自分を不安にさせる事態が訪れる。
2008年1月半ばのことである。

(続く)
ペタしてね
ラベル:うつ病 転職
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2009年07月04日

うつ病になった経緯(2)

えー、久々にこのカテゴリのエントリを書きます(笑)。前回が昨年9月だったので、およそ10ヶ月ぶりですね。
記録をとっていないから記憶が頼りで、中には思い出すのがつらいものもありますが、何とか書き残しておこうと思います。



自分が入社した頃は、プロジェクトが現在進行形で進んでおり、自分はその中で手伝いで仕事が舞い込むような形だった。具体的にはスポット的に依頼が入り、それについて仕事を行い、結果をレポートしレビューするという流れであった。

この頃は、会社のレベルと自分のスキルの差を毎日痛感する日々だった。入社2年目移行の若手はすでに自分と同等のスキルをを持ち、新人は周りをうまく活用しながら課題をこなしていく。コミュニケーション能力の乏しい自分は周りから取り残されたような気分だった。

周りが作るレポートはどれもまぶしく立派に見えた。自分もそれを真似したいのだが、なかなか筆が進まない。やっと作ったレポートも、自分ではとても満足できない代物だった。

レビューも怖かった。とにかく何を言われるか予想できない。レビュー予定日の一週間前から思い悩む日々だった。結果から言えばレビューで特に攻められることは無かったものの、レビュー前の不安感は毎回消えることはなかった。

そんな中、2007年夏、新しいプロジェクトが立ち上がり、自分は正式にアサインされるようになった。

ようやく責任ある仕事を任されるようになった、がんばるぞ!…などという気持ちには到底なれなかった。自分につとまるだろうかという不安感が強く出ていた。
それでも何とか業務内容を把握し、設計業務に移ることになった。

しかし、プロジェクトが始まったら他のプロジェクトメンバーの仕事の速さに驚いた。自分が速度1とするなら周りは5〜10に見えた。これを見て、これから先、この会社でやっていけるのだろうか…そういった不安感が強く出るようになった。

もう我慢できない。これはどこかで吐き出さないと壊れてしまう。
会社にはメンタルヘルスの相談電話が設けられていた。そこに電話相談をすることにした。
応対に出たカウンセラーさんに話を聞いてもらい、今でも通っているクリニックを紹介されることになった。
2007年9月のことであった。

(続く)
ペタしてね
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2008年09月15日

うつ病になった経緯(1)

2007年3月、自分は今の会社に入社した。前の会社とは同業他社であり、しかも最大手である。入社した当初は、この会社の社員になれてとても誇りに思った。
母の影響もあってか、自分はブランド志向が強く、この会社も仕事内容よりも会社の知名度に惹かれた面が大きい。

2日間の中途入社研修を終え、配属先につくことになった。しばらくは事務処理などをする程度でヒマな日々を送っていた。
そんな日々を送っているうちに、この会社に来て気づいたことは、前の会社と比べて、他部門とのやりとりが頻繁に行われていることだった。また、人脈の幅が広い。自分の入社を、直接関係のない部門の人間まで知っていた。前の会社では自分は必要以上のコミュニケーションをとらなかったので、つきあいが面倒そうだなと感じた。

そしてある日、自分に仕事の依頼が来た。それは、前の会社で使っていたツールをこちらでも導入を検討しており、そのツールを使ってこちらでも試して欲しいというものだった。

前の会社で培ったスキルを活かせることで、自分は張り切って取り組んだ。というのも、配属されて日々を過ごしているうちに、この会社のレベルの高さを感じ始めていたからだ。この先やっていけるだろうか不安に思ったものの、この時期は慣れればどうにかなるだろうと楽観的に考えていた。しかも今回の仕事は自分が一番スキルを持っているはず。自分の能力を誇示するいい機会だと考えていた。

そんなわけで、丁寧にコードを書き、資料をまとめ、レビューを行うことになった。レビューでは。新参者の実力がどの程度が興味を持ったのか20人以上の人が集まった。

レビューは、自分では完璧を期したつもりだったが、多くのところを突っ込まれ、自分はしどろもどろで受け答えるのがやっとだった。やがて自分の頭の上を通り越して議論が始まったりして、自分はそれについて行くことができなくなっていた。

丁寧にコードを書いていたことも返って仇となった。それぞれ現在の業務に忙しく、さらにこれほど仕事が増えるのかと敬遠されるようになってしまった。

こうして自分のデビューと言うべきレビューは、内容は受け入れてもらえたものの、自分にとってはさんざんな結果になってしまった。事実、二回目のレビューでは5人程度しか人が集まらなかった。自分の実力はこの程度かと思われたのかもしれない。

この会社で自分が唯一優位を保っていたものがこのような結果になり、自分は自信を失ってしまった。以降は、周りのレベルに自分を合わせようと必死になる日々を送ることになる。
ラベル:うつ病 転職
posted by tethys at 13:53| Comment(9) | TrackBack(0) | 転職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月09日

転職の経緯(終)

2007年2月下旬、プロジェクトのマイルストーンのレビューを無事に終え、会社に出社する最後の日が訪れた。

その日の昼間、部単位で集まり、退職の挨拶をした。今思うとあまり気の利いた挨拶ができてなかったなと思う。
後は主に身辺整理をして時間を過ごした。

そして退出する時間が迫ってきた。まずは課長に挨拶した。前にも書いた通りこの人には憐憫の情しか持っていなかったので、お別れの最後に転職先を告げることにした。

そして部長への挨拶。こっちは今までの怒りもあり、転職先は告げないことにした。課長に言ってしまったのだし、どうせ伝わるだろうと思っていた。

「今までお世話になりました」
「ああ、今までありがとう。ところで最後なのだからどこへ行くか教えてくれないか」
「いいえ、お答えできません」
「この期に及んでその態度か。いい加減にしないと怒るぞ!

この時部長はすごい表情でにらみつけていた。

「誰にも言わないから、転職先を教えろ」

部長の怒りの表情に一瞬怯んだが、自分はにらみ返して答えた。

「部長は、年明けに自分の退職を他のメンバーに伝えると言いました。それなのに自分に一切伝えず突然年末に伝えるように命じましたよね。自分は約束を破られてショックでした。あのときから自分はあなたを信用できなくなったのです。だから伝えたくないのです。」

こういわれた部長は、戸惑った表情で自分のスケジュール帳をめくった。その日のことを確認しているようだった。
「そうだったのか。あのときはマネージメント上、早めに退職を伝えた方がいいと判断したんだ。そういうことなら仕方がないな、もう転職先は訊かないよ。」

これを聞いたとき、部長を凹ませたような気がして、気分がスッキリしたような感じがした。形だけとはいえ、最後に部長とは握手をして別れた。

こうしてこの会社での最後の日は終わった。普通の人なら、たまった有給休暇を使って1ヶ月ほど休んで退職するのだが、プロジェクトに時間を捧げた自分には、今の会社に入社するまで3日しか時間がなかった。前会社でたまった有給休暇のほとんどが消滅してしまった。

というわけで、心を落ち着けるヒマもなく今の会社に入社することになった。

※転職の経緯はこれで終わりです。今後のカテゴリ「転職」ではうつ病になった経緯を書いていこうかと思います。
ラベル:転職 退職
posted by tethys at 22:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 転職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月28日

転職の経緯(6)

2007年の年明け、部長への怒りが収まらない自分はプロジェクトを投げ出しても良かった。どうせあと二ヶ月、年給もたまっているし退職するまで休んでやろうかとも思った。
しかし、メンバーへの迷惑を考えるとそこまでする勇気はなかった。部長・課長以外の先輩には恩義もあったし、そんな形になって別れるのは本意ではなかった。

そんなわけで、自分は退職するまで休むことなくプロジェクトに取り組むことになる。

デスマーチなプロジェクト状況だったけど、送別会はやってくれるだろうと思った。実際それに向けて若手が動いていた。

そんなある日、自分は若手にどんな面子が送別会に集まるのか話を向けた。彼は戸惑った表情で答えた。

「それが…課長の命令で…課としては送別会は行わない、プロジェクトメンバーだけでやれと…」

今まで尽くしてきた者に対する仕打ちがこれか、と思わず口にした。それを聞いた若手は非常に申し訳なさそうな顔をしていた。いや、君のせいじゃない、どうせ課長の裏にいる部長の命令だろうと答えてあげた。

部長は自分が入社してからずっと一緒だったので、人となりは把握していたつもりだった。明るくさわやかで面倒見のいい人だった。部長が課長だったとき、ある社員が退職することになり激励を込めた送別会を開いた。今度もそのような形になるだろう、それならば裏切られたわだかまりも水に流せるかもしれないと思っていた。

しかし部長になって人が変わったとこの時になってようやく気づいた。自分の裏切れない性格を利用して、退職まで徹底的にこき使わすつもりだと思い込むようになった。悪く考えれば考えるほど悲しくなって涙が出そうになった。

そんな状況を不憫に思ってか、若手は送別会ではなくプロジェクトのマイルストーンお疲れ会という形で、退職日に飲み会を開くよう動いてくれた。面子もプロジェクトメンバーにこだわらずいろんな人に声をかけてくれた。何はともあれ退職時に酒の席が用意されることになった。
(続く)


おまけ
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ラベル:退職 転職
posted by tethys at 20:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 転職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月14日

転職の経緯(5)

2006年12月下旬、部長から「年明けに他のメンバーに伝える」と言われた自分は、退職するまでは精一杯がんばって尽くそうとプロジェクトに取り組んだ。もっともプロジェクトはスケジュールに対して既にかなり遅れており、10月頃から土日出勤は当たり前、週に3日ほどは終電を過ぎて近くのビジネスホテルに宿泊する日々になっていた。

そんな中で、メンバーに投下される自分の退職という爆弾。それは必ず実行されるのだが、時期は年明けということもあって、覚悟の程はその時あまり無かった。正月休みに腹をくくればよいと思っていたからだ。

しかし、である。

年末最終日の前日の朝、唐突に課長が自分のところに来て、「この後主要なメンバーに君の退職を伝えるから」と言い放って自分の席に戻っていった。
突然の出来事にしばし呆然としたが、我に返ると課長に詰め寄った。

「(伝えるのは)ちょっと待ってもらえませんか。自分の心の準備ができていません。あまりにも唐突すぎます。」

「いや、部長が今日伝えろと言ったから



年明けと信じていた自分はショックで脱力した。これ以上抗議する気力もわかなかった。ふらふらとした足取りで自席に戻ると、主要メンバー(全員ではない)が課長に呼ばれていった。もう手遅れだった。

戻ってきた彼らは抗議と不安が混ざったような複雑な表情を浮かべていた。そんな彼らを自分は申し訳ない気持ちで正視できなかった。彼らは直接自分に文句を言うことはなかった。それが余計に気まずい雰囲気にした。しかし、代わりのプロジェクトリーダーと最低限の引き継ぎスケジュールだけは決めておいた。

ショックが過ぎると、年明けという約束を裏切った部長に対して怒りが湧いてきた。でも、直接抗議したところで、過ぎた退職カミングアウトを戻すことはできない。
なので部長には、話す度にしつこく尋ねられた転職先を、最後まで伝えないことにした。こんな扱いをされて、どうして教えることなどできよう。

課長には怒る気にもなれなかった。最初にも書いたが、この人は部長の操り人形であり、むしろ自分と部長との板挟みで憐憫の情しかなかった。

こうして2006年は終わった。退職が伝えられたメンバーには気の重い終わりで、モヤモヤとした年末年始を過ごすに違いないと思い、自分も気が重かった。一方で、退職が伝えられたことでスッキリした気持ちもあった。でも、部長に対する怒りは収まることはなかった。
ラベル:転職 退職
posted by tethys at 23:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 転職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

転職の経緯(4)

2006年11月の末、自分は上司(課長)に2007年1月末で退職する旨を告げた。上司は退職を決意する前に相談して欲しかった等を述べたが、既に自分の決意が固いことを知ると、強い引き留めはしなかった。ただしプロジェクトの状況から見て、1月いっぱいの退職は早すぎるのでその辺を調整して欲しいと言った。最後には「また眠れなくなるネタを仕込むなよ」と愚痴られた。

翌日部長との話し合いとなった。やはり引き留めはせず、これまで一緒にやってきた思い出話やこれからの人生について諭してくれた。これには自分も目頭が熱くなり、退職を決意したことを後悔しそうになった。
やはり退職時期あまりにも早すぎるので延ばしてくれないか要請があった。自分も今のプロジェクトをやり遂げたい思いがあったため、せめて3月末になるように転職エージェントにお願いすることを約束した。

部長からは、転職先の会社名をしつこく尋ねられたが答えなかった。これは会社名を伝えたことで、退社交渉がもめたケースが多くあることを知っていたからだ。引継ぎが上手くいかず、転職先の会社に直接入社日を伸ばして欲しいと交渉をするなどの、予想もしえない状況を生み出したケースもあるらしい。
しかし、転職先を伝えなかったことが自分にとって後日大きな溝を生むこととなる。

部長との話し合いの翌日、入社時期について最初の希望通り5月頃にしてくれないか転職エージェントに打診した。また後日、今の状況について資料を作成し、エージェント会社に直接出向き、転職先に現状を伝える中で、後日自分から直接、転職先に説明申し上げることもできる用意もあると伝えた。転職エージェント会社もその転職先担当の方と交えていろいろ動いてくれたようだった。

しかし先方からは、直接くる必要もなく、入社も2月末までという返事だった。何とか1ヶ月は譲歩してくれたものの、それ以上は希望を聞いてくれそうになかった。「そこまで待っていれば他に人が雇える」という返事が自分にこれ以上の交渉をあきらめさせた。12月中旬のことであった。

というわけで、2月末退職で引き継ぎを進めることになった。デスマーチに近いプロジェクトの状況の中、他のメンバーにいつ伝え、引き継ぐかが焦点になった。この件は部長預かりとなり、他のメンバーに伝える際は事前に知らせておくと言われた。部長を信頼し、任せることにした。それで退職が伝えられるまで悶々とする日々を過ごすことになった。
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2008年05月24日

転職の経緯(3)

今日は妻とレナウンのカジュアルブランドセールに行ってきた。ジーンズ以外は主にユニクロで済ませている自分にとっては初体験で、結構な値段を買ってしまった。今月はマイナス給与なのに(笑)。

転職の続き。

1次面接から1週間後の2006年10月下旬、転職エージェントより合格の連絡が届いた。面接の良かった手応えもあり予想はしていたものの、やはりとても嬉しかったことを覚えている。
2次面接の連絡も同時にあり、2週間後の11月初頭に行われることになった。内容は役員面接と健康診断だった。

1次の時と同様に妻を相手に面接練習しながら準備を進めたものの、1次面接の手応えからやや気楽に面接に臨んだ。

しかし、面接官である役員と人事のトップの方相手の面接は、いわゆる圧迫面接だった。自分の話した志望動機は、年齢に見合っていない(20代が言うようなことだ)と否定され、さらに入社時期が遅すぎると強い口調で言われた。

入社時期に関しては1次面接でも唯一の懸念事項として言われていた。自分が希望したのは2007年の5月だった。まあ実際に転職の常識からしても遅い。当時プロジェクトリーダーとして抱えていた業務の最終マイルストーンがその時期であり、それを完遂して退職するつもりだった。なので上記希望時期となったわけだ。

2次面接は最終的に悪い印象を持たれたような流れで終わってしまった。なので面接後の自分はだいぶ落ち込んでしまった。この会社とは縁がなかったのかもしれない…。不合格を覚悟しながら結果を待つ日々となった。

しかし一週間後、転職エージェントより合格の電話連絡を受け取った。平凡だがそれを受け取ったとき、心の中で「やったー!」と何度も叫び続け、かなり浮かれた。

この電話のやりとりの中で「転職は人生の転機でリスクもあります。それを考え、入社の意志の有無をご連絡ください。」と転職エージェントは述べた。しかし三日後、入社の意志があることを伝えた。そう、「リスク」などというのはハナから考えもしていなかった。

この時の自分は都合のいい未来しか考えていなかった。実は、自分はプロジェクトリーダーのようなマネジメント関係の業務に就きたくはなかった。今度の会社なら、大手で従業員も多いから、自分は一兵卒として気楽に働ける。しかも今の会社(前職)では得られなかったような最新の技術に触れることができ、エンジニアとしてより一層成長できる…。今にして思えば甘すぎる事しか頭になかった。

だが問題が残されていた。入社時期である。先方は2007年1月を希望していた。自分の希望と3ヶ月以上のギャップがあった。この時から退社・入社を巡って前職・転職先・転職エージェントも交えて駆け引きが始まった。
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2008年05月11日

転職の経緯(2)

雨なので一日中家でだらだらと。昼寝が浅い眠りで3時間。長すぎる。まいったなあ。
お借りした本を読んだ。内容はいくつかの短い物語集である。いくつか心に残る話があった。読み直すためにもう少しお借りしておこう。

転職の続き。

転職を決意した自分は2006年6月頃にまずリクナビNEXTに登録した。自分の職歴を登録すると、早速オープンオファーと呼ばれる、企業からのオファーがいくつか飛び込んできた。オープンオファーは職歴のみをみて企業が接触してくるもので、企業には個人情報は伝わらない。よって希望する職種でなければ反応する必要はない。

次々と届くオファーを見て、自分のキャリアが「売れる」という思いを強くした。リクナビNEXTに登録したのは企業の反応を見たかっただけで、基本的にオファーに反応するつもりはなかったし、また転職したい企業は見つからなかった。

以上の感触を確かめた自分は8月に転職エージェント会社に登録した。実は転職を決意してから転職したい企業は始めから決めていた。前会社よりも規模の大きな同業他社である。同業他社なら今のキャリアを十分に生かせるし、通用すると考えたからだ。より高いレベル開発現場で学び、キャリアアップを果たせると当時は自信があった。また一方で大手だから人も多いだろうし負担もそんなに高くないだろうという甘い考えもあった。それと、もともと自分の会社選びは大手ブランド志向であった。

転職エージェントには希望する会社名を伝え、動いてもらうことになった。その間、プロジェクトで多忙な時間の合間を縫って、その会社の研究や面接対応セミナーなどを受講して準備を練った。1ヶ月後、エージェントより第一希望の会社からオファーがやってきた。あこがれていたその会社からのオファーに自分は即応募の連絡を入れ、書類選考に入ることになった。書類選考→適性検査・一次面接→二次面接という流れだった。

約2週間後、書類選考の通過と一次面接の案内を受け取った。なんと4日後に面接を行うという。やや慌てたものの、その会社を十分に研究し、SPI対策や妻を相手に面接練習などをこなしてきたので、自信を持って乗り込むことができた。

当日、会社側にアポイントメントが伝わっておらずその対応で遅刻するアクシデントがあったものの、適性検査は十分に解答することができた。そして面接。志望動機や転職してやりたいこと、また込み入った質問までほとんど滞りなく回答することができ、終始和やかなムードで面接を終えることができた。この会社に入社できる! その手応えを十分に感じた。
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2008年05月03日

転職の経緯(1)

今日は、携帯電話の機種変更で出かけた以外は一日家でボーっと過ごした。Wikipediaの記事を読んだり、Visioで作画したりして時間を潰した。

連休初日とアモキサンを倍にした効果のためか、今日は不安感は無かった。

今の会社に転職した経緯について触れたいと思う。

転職の動機は他の人とほぼ同様で、キャリアアップのためである。前の会社で物足りなくなり、より深い専門知識と能力を得るため転職を決意した。

もう少し詳しく述べていく。
前の会社に就職して約10年、ほぼ同じ内容の仕事をこなしてきた。あるプロジェクトにアサインされ、それが終了するとそのプロジェクトの拡張版のようなプロジェクトに移り、それが終わるとまたその延長線のようなプロジェクト…といったキャリアを歩んできた。
そして最後にはそのプロジェクトのリーダーとなった。この時になって、これから先も同じような仕事が続くのだろうかと、自分の将来性に不安を持つようになった。

周りの状況も良いとは言えなかった。メンバーはほぼ固定化されて数年が過ぎ、閉塞感を感じていた。年々プロジェクトの納期が厳しくなり、メンバーをシャッフルしにくくなることでさらに拍車がかかった。とにかく目先のプロジェクトを完遂することがほぼ全てとなってしまい、その先を考える時間の余裕が無くなっていた。

人間関係も不満だった。プロジェクトリーダーとなってもメンバーが固定化されていたため、前リーダーがメンバーとなっていた。前リーダー(10歳以上年上)はいろいろと文句の多い人で、この人の元で仕事をするのは問題なかったが、自分がリーダーとなって指示するには非常にやりにくかった。
上司(課長)は部長の操り人形のような存在で、物事のプライオリティづけができず、部長に指示をそのまま自分たちに降りかける有様でとても相談できる相手ではなかった。
部長は入社以来のつきあいだったが、管理職になるにつれて性格が変わり、自分の話を正面から受け止めてくれる人ではなくなっていた。

自分なりにこの状況を打破したいと思い、最新の技術動向などを探って、新技術を取り入れた業務の改善の提案なども行ってみた。しかし自分のアピール力不足もあったためか、周りの人たちには「あいつ余計なことをしやがって」と思われていたようだった。保守的で受け入れてもらえない雰囲気で、最後には自分と対等に議論できる人はいなくなっていた。

そして2006年、景気も良くなり各会社の中途採用が活発となり、売り手市場となっていた。30代になっていた自分は最初で最後のチャンスと思い、自分の価値を世に問うため転職活動を開始した。
ラベル:転職活動 転職
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